奇跡の開催!日本の最先端技術と「えんとつ町のプペル展」が組み合わさって起きたドラマに心が震えた3
photo by フォトグラファー 山本 美千子さん
今日もどこかでプペル展。さてさて、どこでプペル展?
現在は、佐賀県有田町と広島県府中市とイオンモール京都の三箇所で行われていますが、今回も佐賀県有田町のプペル展をご紹介します。(全3回にわたる有田プペル展ご紹介の最後となります。少し長めですが、よろしければ最後までお付き合いください)
以下、開催情報です。
【えんとつ町のプペル展in有田】
★開催期間
2017年10月1日(日)~29日(日)
10時~17時
★開催場所
〒844-0023佐賀県有田町丸尾丙2512
老舗窯元・幸楽窯(こうらくがま)
★入場料
500円(ガチャガチャ有田焼+西野亮廣氏作 おみくじ付)
※予想を上回る来場者のため、ガチャガチャ豆皿が残り少なく、無くなってしまったらごめんなさい!とのことです(嬉しい悲鳴?)
★トークライブは2017年10月15日(日)、満員立ち見の中で大盛況で無事に終了しました!!
そして、絵本「えんとつ町のプペル」の作者である西野さんはトークライブ前に徳さん(主催、徳永陶磁器株式会社の社長)の案内で、有田プペル展会場を見たあとに「カッケー!」と大絶賛。それを聞いた徳さんは感無量に…(良かった☆)
さて、前回みなさんにお伝えしたのは有田プペル展が「唯一無二」である理由を4つのポイントに集約してお伝えしました。
今回は、是非知って欲しい『幸楽窯(こうらくがま)』にいる通称「こうらくプペル」について「嘘のような本当の話」をお伝えしたいと思います。
お読みいただいた上で、10月29日まで開催の有田プペル展に来場されたら、また違った見方ができるかもしれません。
もし、共感してもらえたり少しでも気になればシェア・ご来場いただき、是非有田プペルを応援いただければ嬉しく思います。
さて、有田プペルの開催場所である幸楽窯の工場の中は、まるでテーマパークのようになっています。
その中でひときわ異彩を放つのが、このゴミ人間「こうらくプペル」です。
よく見ていただければ分かるのですが、身体は工場や周辺から出たゴミが集まって出来ている、まさに「ゴミ人間」。
私は、なんの疑いもなくこの「こうらくプペル」は今回の有田プペル展のために準備されたものだと思っていました。
それが、びっくり仰天…違うのです!!
なんと、この「こうらくプペル」は、2012年、つまり5年も前から今に至るまでここ幸楽窯の中で"生き続けて"いたのです。
え?どういう事??!ってなりますよね?
実は、5年前の平成24年9月21日(金)~31日(日)に開催された「有田現代アートガーデンプレイス」という、会期中にサテライト会場の幸楽窯に滞在した、佐賀大学の学生が生み出したレジデンス(長期滞在型制作)作品だったのです。
その学生(当時)の名は
武富 洸斗(たけどみ ひろと)さん。
(現在のFacebookプロフィール写真より)
彼は、この制作滞在中に幸楽窯で毎日を過ごし、日々初めてだらけの環境の中で、瑞々しいまでの感性をブログにぶつけて残してくれていました。
その時の彼のブログをまとめつつ、「このこうらくプペルの秘密」について振り返って徳さんがまとめてくれたのがこちらです。
私も制作日記をじっくりと読ませていただいたのですが、まさに武富さんのアートに対する姿勢と、その時に感じていた事がまっすぐに書かれていて、眩しかったです。
自身への「アートとは?」という問いや、自分が持つ感性と摺り合わせながら、長い小説を読んでいる気持ちになりました。
とても良いものを読ませていただけたなぁと思います。少しでもご興味が湧いた方は是非、お読みください。
私は、この武富さんの制作記録ブログを読み終えて、絵本の中でプペルが現れるシーンを思い出しました
心臓は、町のはずれのゴミ山におちました。
ドクドクあばれる心臓に、ゴミがあれこれくっついて、ついに生まれたゴミ人間。
武富さんが作ったこの「こうらくプペル」には、ドクドクと脈打つ心臓はありません。
しかし、武富さん自身が『心臓』の役割を果たして、幸楽窯で積み重なった「歴史」と、関わった人たちの「想い」をくっつけて、「ついに生まれたゴミ人間」として、この幸楽窯に誕生させたのです。
さやちゃん、ひろくん、工場のおじさんおばさん、徳さんとの交流などを経て、この「こうらくプペル」が生み出された経緯を一通り読むと最後のまとめが、素敵な小説の最後を締めくくるようでグッとくるものがあります。
せっかくですので、武富さんの考え方やこうらくプペルへの子どもたちの反応が分かるエピソードをブログの中から抜粋してご紹介します。
9月25日
滞在13日目くらい。
今日は有田中部小学校が制作を見学しに来てくれました。僕の作品は基本わくわくを核として作っていますが、それが小学生に伝わるか少し心配でした。
が、小学生五年生の学年みんなが到着。最初の言葉が「なんだれ!」といいつつ、目がキラキラしてるのを見たとき、ほっとしました。ロボット?虫?ハエ?うわあー!!!と群がる姿は望んでいたものそのものでした。
作品の説明をすると、熱心にメモをしていました。「文化の変換」を中心に、集めたモノや理由を説明すると、「僕もやろう」という声が聞こえました。これだ!やるんだ!子供の頃道ばたに落ちている謎の部品を拾ってくるとよくおこられたりしました(が、集めてた。)が、それが創作意欲と直結し、何かを変換したものを自分の外へと表現として出すという形で今へとつながっています。その意欲を伝達し、伝染させることはすごい力だと感じます。その力が一瞬でも今回見えたような気がしました。
徳さんは、私に教えてくれました。
『だからどうしてもプペル展in有田したかったのです。
52年前に祖父が小学校鉄筋コンクリートに建て替え時に購入した校舎を移築して出来た工場。
伝統とは良いモノも悪いモノも堆積していくモノなんです。
東京のように使えなくなったからと壊して作る方法があるのなら、その逆もあって良いんじゃ無いでしょうか。』
そんな想いがこもった有田プペル展も、10月29日(日)までの開催となっております。
是非、幸楽窯へお足を運んで実際にその目で見て、体感してみてください。
最後に、徳さんは伝統を受け継ぐ家庭に生まれ育って、自分たちがやることがこれからの「幸楽窯の伝統」を創っていくこと、このままではいけないんじゃないかと問い続ける姿勢を持ち、実際に行動を続けておられます。
今度は徳さん自身が「プペルの心臓」のような役割となって、そういう考え方(「こうじゃない」と思ってる人たち)が幸楽窯に集まり出して、新たな動きが始まっています。
これからも、有田という伝統を紡ぐ町の存在、幸楽窯という存在、徳さんの取り組みが、ワクワクを提供してくれる気がします。
是非、ご注目ください。
長い内容となってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
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